魔女はすべてを覚えている。ひとの子がすべてを忘れても。どこか遠い空の彼方へ、魂が去って行こうとも。そして地上で魔女たちは、懐かしい夢を見る。記憶を抱いて、生きてゆく。その街は古い港町。桜の花びらが舞う季節に、若い魔女の娘が帰ってきた。赤毛の長い髪をなびかせ、かたわらに金色の瞳をした使い魔の黒猫を連れて。名前は、七竈・マリー・七瀬。目指すは、ひとの子たちが「魔女の家」と呼ぶ、銀髪の美しい魔女二コラのカフェバー。懸命に生きて、死んでゆくひとの子と、長い時を生きる魔女たちの出会いと別れの物語。―――魔女たちの物語は、物語の形を借りた、わたし自身の想いであり、言葉でもあったのだろう、といまになって、気づいています。何の力も持たず、歴史を変えられもしない、一本の糸に過ぎないわたしが、誰かのささやかな愛すべき日常に寄り添い祝福し、不幸にして斃れたひとびとにさしのべたかった「腕」が、この物語だったのだろうと。そう、わたしには魔法の力はなく、この物語もいつかは忘れ去られてゆくでしょう。けれど、この物語にふれたどなたかが、ふと、これまで地上に生きてきた一本一本の糸に思いを馳せてくださるなら、わたしの言葉はそのとき、魔法になるのだと思います。村山早紀(「あとがき」より抜粋)