創作童話の世界への誘い!グリム童話研究者によるユニークな「賢治論」。今頃、なぜ「宮沢賢治」なのか?それは、かつて思いがけなくも雑誌「国文学」に掲載された文章「セロ弾きのゴーシュ」論を読み返したからだった。もう一つの理由はといえば、かつて、年配の同僚だった日本文学研究者が「賢治童話はたぶん日本文学だけしかやってない者には手ごわい。『注文の多い料理店』は良いコメントを書こうとしてもなかなかうまく料理できないんだよ。」とよく話していたことを想い起こしたからだ。賢治の作品は、文学のみならず、植物、生物、化学、鉱物、天文学、農学、音楽、宗教等多岐にわたる。日本の「創作童話」という狭い檻の中に、それはとても入り切るはずもない。様々な助言をもらったこの先輩教授が亡くなってはや十年近くが過ぎ去った。もう一度、賢治童話について考えるきっかけを与えてくれた教授に感謝だ。本書で取り上げた賢治作品は以前から気になっていた小品だ。賢治のよく知られた大作に関する評論はごまんとあるから、あまり取り上げられずにいる作品にスポットを当てたかたちである。独文学者による比較文学論的「賢治童話」読解の試み。【目次】「ワラシとボッコと奥州と欧州と」(ざしき童子のはなし/ ドイツの視点から)「夜の川のほとりのゴーシュ」(セロ弾きのゴーシュ)「クンとフウとツェ」(ねずみ物語)「虚栄と韜晦と邪教・三つ巴の果て」(洞熊学校を卒業した三人)「わかっちゃいるけどやめられね〜の美学」(毒もみのすきな署長さん)「のんのんのんのんの仮面」(ほんたうの神さま/オツベルと象)