天明七年、老中松平定信が各米問屋に江戸への廻米を申しつけた。<br />江戸市中の米流通量を増やして、米価を下げる狙いだ。<br />各藩には藩内の米問屋が、その触れを確実に実行するよう、義務を課した。<br />実質、藩の責任において米俵を用意することになる。<br />高岡藩には百俵の供出が求められた……。<br /> 好評シリーズ第七弾!