美濃の野平藩では不作続きの上、江戸藩邸の維持費などが嵩み、財政が逼迫していた。<br />末席家老の井戸一之助は窮状を脱しようと智恵を絞り、藩内で良質の土が採れることから、肥前焼のような高価な焼物業の振興を思いついた。<br />だが、有田や伊万里の窯は厳重な管理下にあり、製法は門外不出である。<br />そこで家老自らが雲水(修行僧)に身をやつし、肥前に潜入したが……。<br />