1922年秋。<br />30歳の詩人は、3年越しの大作の冒頭をイズヴェスチヤ紙上に発表し、ベルリンへ発つ。<br />やがてディアギレフの案内でパリに入り、ピカソ、レジェ、ストラヴィンスキーらと会う。<br />全八部と構想されながら未完に終わった長篇詩の冒頭二部を、詩人・小笠原豊樹の最後の新訳でおくる。<br />日本翻訳家協会特別賞。<br />