高原のティー・タイム
小説においては、このような物語も可能なのか?そうだ、むろん、十分に可能だ、とでもいうような一編。
最初と最後に、1つの視点がある。
その視点はフィクスで、テレビ画面を観ている。
紅茶のCMが表れる。
秋の高原のティー・タイムだ。
CMが終わったら、番組が始まるだろう。
こちらはうってかわってにぎやかだ。
うるさいほど。
番組の背後にあるアクションの積み重ねも、せわしない。
やがて、人によっては「惨劇」と呼びたくなる場面を映したあとテレビは再び、高原のティー・タイムに戻る。
更新中です。しばらくお待ちください。