ときは享保20年(1735)初夏、改革の嵐吹き荒ぶ8代将軍吉宗の時代。<br />わずか1万5000石の磐城湯長谷藩に隠し金山の嫌疑がかかり、幕府老中から「5日以内に参勤せねば、藩を取り潰す」と難題をふっかけられた。<br />若殿様以下7名は東国一の忍びの力を借りつつ、陸前浜街道、水戸街道、さらには山野を踏み越え江戸城本丸へ急ぐ。<br />軽量化のため竹光しか持たない一行を阻む公儀御庭番と百人番所の精鋭。<br />湯長谷藩の運命や如何!?