「俺は二、三日うちに死ぬ気がする。<br />晩飯の支度なんか放っておけ。<br />淋しいからお前もここに坐って一緒に話でもしよう」妻にそう語りかけた数日後、永井龍男は不帰の人となった。<br />没後発見された手入れ稿に綴られた、生まれ育った神田、終の住処鎌倉、設立まもなく参加した文藝春秋社の日々。<br />死を見据えた短篇「冬の梢」を併録した、最後の名品集。<br />