元治2年(1865)、清太郎の師匠・三代豊国の法要が営まれる。<br />広重、国芳と並んで「歌川の三羽烏」と呼ばれた花形絵師だった。<br />歌川の大看板・豊国が亡くなったいま、誰が歌川を率いるのか。<br />弔問客たちの関心はそのことに集中した。<br />清太郎には八十八という弟弟子がいる。<br />粗野で童のような男だが、才能にあふれている。<br />己が三代に褒められたのは、生真面目さしか覚えがないのに。<br />──時代のうねりに、絵師たちはどう抗ったのか!