津田梅子 女子教育のとびらを開く
新紙幣の顔のひとり、津田梅子は1864年生まれの日本の女子教育者で、津田塾大学の創設者。
わずか6歳で岩倉使節団とともに官費留学生として、渡米。
明治の日本は近代国家になりつつあったものの、女性の教育環境は貧しいまま留め置かれていた。
17歳で帰国後、梅子は女子が高等教育を受けられる学校を開校。
女子教育の発展に生涯を捧げた津田梅子の仕事と人生とは――。
第一章 小さな留学生 望まれない女の子/黒船がやってきた/ちょんまげを落として/幼いころの梅子/女子の留学生募集第二章 旅立ち 出発の準備/大にぎわいの横浜港/苦しい船の旅/サンフランシスコ到着/ワシントンへ/ランマン夫妻の家へ第三章 アメリカでの勉強 黄金の日々/小学校へ/日常生活/女学校へ/ザ・トリオ/期待と不安第四章 十一年ぶりの帰国 津田家の人びと/なつかしい我が家へ/忘れてしまった日本語/繁子と捨松の結婚/伊藤博文との再会/華族女学校の教師に第五章 再びアメリカへ アリス・ベーコンの来日/もう一度学びたい/ブリンマー大学/アナ・ハーツホンとの再会/デンバーでの講演/偉人たちとの面会/第六章 女子英学塾の開校 新しい学校/梅子の教え/休養とアメリカ旅行/開校十周年/全国で活躍する卒業生/関東大震災/嵐の後に <小学校中級から すべての漢字にふりがなつき>
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