カフカの文学は、映像的であるという印象を与えながらも一つの映像に還元できないところに特色がある。<br />『変身』のグレゴール・ザムザの姿も言語だけに可能なやり方で映像的なのであって、映像が先にあってそれを言語で説明しているわけではない。<br />……読む度に違った映像が現れては消え、それが人によってそれぞれ違うところが面白いのである。<br />この機会にぜひ新訳でカフカを再読して、頭の中の映画館を楽しんでほしい。<br />(多和田葉子・解説より)