山口組五代目帝国の内なる敵
史上最大の抗争といわれた「山口組vs一和会抗争」に勝利した後の1989年、渡辺芳則が山口組五代目組長を襲名。
以降山口組は勢力を急拡大し、空前の組員4万人体制を作り上げた。
その一方で内部対立は深刻の度を増していく。
97年にはナンバーツーの宅見若頭が組内の襲撃者に射殺され、05年、本来は終身制であるはずの渡辺組長自身もクーデター同然に座を追われた。
16年におよぶ五代目時代は「地位とカネをめぐって山口組の無法者たちが血で血を洗う相克劇を繰り広げた時代」であった。
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