小早川軍の壊滅により日和見を決め込んでいた毛利勢も、ついに西軍として動くことを決断。<br />一方、家康は作戦の中止も考えたが、現状の軍勢でも勝利できると確信し進攻を続ける――慶長五年十一月十五日関ヶ原。<br />雌雄を決する戦いいの火蓋が切って落とされる!