天正十四年(一五八六)十月下旬、大友氏の「自崩」の兆しをとってみた島津氏は、その隙を利用して、豊後への侵攻を開始した。<br />肥後口の大将は、島津義弘。<br />日向口の大将は、島津家久。<br />敵味方四〇〇〇余人が討死した戸次川の合戦の行方やいかに。<br />