「清貧」という生き方
かつてバブル時代の終わりに『清貧の思想』という本がベストセラーとなった。
その中で紹介された文人が、歌人・橘曙覧である。
大店の家に生まれ、自分に向かない商いの道を捨てて、福井・足羽山の山中に立てた「黄金宮(こがねのや)」というあばら家で歌を詠んだ。
「黄金宮」とはむろん、「身は貧窮のなかにあっても心は黄金のように輝いている」という意味である。
そして2011年現在。
われわれは東日本大震災の後にあってもなお、物欲やカネを捨てきれずにいる。
数えきれない同胞が命を失い、あるいは困窮したまま、政府は何一つまごころのある手当をしない。
そんな時代に、われわれは自らの「生」を何と心得るべきなのか。
手持ちのわずかな財産を守り、老後の安心を得られれば「人生を生きた」ことになるのか。
橘曙覧の時代に、そして『清貧の思想』でも、多くの日本人がそのことを考えたはずである。
ならば今もう一度考えてみよう。
本書はそんな本である。
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