無から生みだす未来 女川町はどのように復興の軌跡を歩んできたか
被災地・女川はどのようにして復興への道を歩んできたのか? ――2年以上の間、多くの人、町づくりの歩み、養殖漁業・水産加工業を定点観測してきた著者が、感動のドキュメントを公開! 「失うものは何もなくなった!」。
住民の1割近くが犠牲となり、8割以上が住居を失った町。
地元経済を支えた水産業が壊滅し、女川原発も停止した。
どう立ち上がったのか。
女川の復興では、年長者が弾除けになり、変革リーダーや若いリーダーが牽引し、二十代の若い世代がそれに呼応した、エネルギーミックスが生まれている。
また「住民が主役、行政が名脇役」というスタンスで、町づくりが進められてきた。
女川の持つ「共同体の力」、これこそが、復興の底力、エネルギーの供給源だ。
都会ではとうに失われたものだ。
――「現地取材」と「定点観測」による貴重な記録!
更新中です。しばらくお待ちください。