鬼師のクミたんはそもそも瓦製造とは縁もゆかりもなかった。<br />高校を卒業して、碧南市の花屋さんに勤めたが、そこに現れたのが訓平である。<br />訓平は、高浜市で鬼瓦を製造している会社の跡取り息子であったが、華道の先生に瓦で作った花器を作ってくれと頼まれ、碧南市の花屋にやって来た。<br />生花と言っても立花は中国製品の目利きで、茶道・水墨画・連歌・立花・能猿楽・作庭まで手がける同朋衆という芸能集団であることがわかった。<br />