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囚人の斧

神戸八角堂「移情閣」と中国人留学生。
神戸の華商呉錦堂(一六五五?一九二六)は、すでに伝説上の人物となっている。
三十歳で日本に来たとき、呉錦堂は裸一貫だった。
しがない行商から身をおこし、二十五年後、神戸の華商のあいだでも、ならぶ者のない大豪商となっていた。
その呉錦堂の援助で中国の優秀な青年たちが日本に留学したいた。
一九一二年に孫文のいわゆる辛亥革命(一九一一)が失敗し、三月十日、袁世凱が北京で臨時大総統に就任して恐怖政治が起こる。
やがて第二革命が企てられるが成功せず、孫文は再び日本に亡命する(一九一三)。
国民党の指導者・宋教仁が上海で袁世凱の手で暗殺されたのは、一九一三年三月二十日のことである。
こういう歴史の大きなうねりのなかで、日本に滞在中であった孫文は神戸舞子の呉錦堂邸に招かれた。
邸じゅうが賓客歓迎の準備でごった返していたが、邸から数十メートル離れた松林のなかで、二人の中国人がもつれあい、一人が殺された。
事件は男女のもつれが原因とされ、時局から当局によって迅速に処理された。
だが、歴史の襞に埋もれてしまったかに考えられたこの事件には、驚くべき真実が隠されていたのだ。




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