いつも隣に山頭火
種田山頭火は、1882(明治15)年現在の山口県防府市生まれの自由律俳人。
「層雲」の荻原井泉水門下。
1925年に熊本市で出家得度し、26年放浪の旅に。
句友に支えられながら、漂泊の旅と一時の定住を繰り返し、40年松山で没、享年59。
分け入つても分け入つても青い山/しとどに濡れてこれは道しるべの石/炎天のした蛇は殺されつ光るなり/水はれいろう泳ぎ児のちんぽならびたり/いさかへる夫婦に夜蜘蛛さがりけり/尾花ゆれて月は東に日は西に/酔うてこほろぎと寝てゐたよ/悲しみ澄みて煙まつすぐに昇る/鴉啼いてわたしも一人山頭火の残した膨大な数の句、日記や文章、書簡を丹念にたどり、あらためて彼にとっての「旅」の意味を問う。
熊本「三八九居」小郷「其中庵」松山「一草庵」と定住しながら、つねに旅への想いはやまない。
ここには旅するバガボンドの山頭火がいる。
「孤高の人」ではなく、ちょっと変わった愛すべき隣人ともいうべき、かつてない山頭火像を描き出す。
これまで調べられてこなかった熊本時代を発掘。
評伝の決定版。
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