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【スポーツカー・車・トラック】タグの通販

商品化リクエストにお応えし実現しましたよ !!●新規パトカーグリル●新規起立式LED表示装置●新規サブミラー●新規純正ドアバイザー●新規デカール●警視庁仕様再現予定●純正アルミホイール●窓枠マスキングシール●18インチエクスペディアタイヤ使用※1次予約締切日:2019/07/01※本商品は数に限りがございます。ご了承ください。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
商品化リクエストにお応えし実現しましたよ !!●新規純正前後バンパー●新規純正アルミホイール●新規純正リアウイング●新規前期型シート一式●新規リアワイパー●新規デカール●ツインムーンルーフ●窓枠マスキングシール●使用タイヤ検討中※1次予約締切日:2019/07/01※本商品は数に限りがございます。ご了承ください。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
まさかのチャラスカ!!!!!ついにチャラスカもシリーズの仲間入り!●チャラスカとは…リバティーウォーク二代目、加藤飛馬の愛車の愛称である●新規パーツ…シャコタンコヤジ特製オーバーフェンダー前後・ベゼルレステールランプ左右・リヤバンパーブラケット左右・サイド管●付属パーツ…ツリ角目グリルレス仕様・オイルクーラー・チンスポ・ピラーダクト・イタッパネ・14インチMK-III・引っ張りLBレーシングタイヤ・ロールバー※1次予約締切日:2019/07/01※本商品は数に限りがございます。ご了承ください。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
サーキットに帰ってきた三菱の切り札グループA レースの最高峰ディビジョン1 クラスに参戦したスタリオンをキット化●スタリオンを新規金型で再現●開幕2連勝を飾った1987年の全日本ツーリングカー選手権出場車両●車内はロールケージ・バケットシートなどの競技車両専用部品も再現●デカールはシルク印刷※1次予約締切日:2019/07/01※本商品は数に限りがございます。ご了承ください。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
サーキットに帰ってきた三菱の切り札グループA レースの最高峰ディビジョン1 クラスに参戦したスタリオン用ディテールアップパーツ●ワイパーやキャッチピンなどをよりシャープに仕上げることができます●シートベルトはエッチングの金具と布製ベルトで再現 ●金属製アンテナによりシャープさと質感がより高まります※1次予約締切日:2019/07/01※本商品は数に限りがございます。ご了承ください。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
ICM社製完全新金型ルノー タイプ AG 1910年 タクシーのプラモデルです※1次予約締切日:2019/05/09※1次予約のみで受付を終了する場合がございます。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
ICM社製ドイツ オペル カデット K38 カブリオレ スタッフカーのプラモデルです。※1次予約締切日:2019/05/09※1次予約のみで受付を終了する場合がございます。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
ドイツレベル社製シェルビー GT-H(2006)のプラモデルです。※1次予約締切日:2019/05/09※1次予約のみで受付を終了する場合がございます。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
NuNu hobbyよりGTレースで活躍するR8 GT31のディティールアップパーツが早くも登場です。キットのディティールアップに見逃せない商品となっています。※1次予約締切日:2019/05/12※1次予約のみで受付を終了する場合がございます。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
NuNu hobbyより世界のGTレースで活躍するアウディR8 GT3を完全新金型1/24スケールで再現したプラスチックモデル組み立てキットです。ミッドシップにV型10気筒エンジンを搭載したスポーツカー、アウディR8のGT3バージョンは各国のレーシングチームにデリバリーされ、耐久 レースやGTカーレースで活躍しています。モデルは2015年のスパ24時間耐久 レースで活躍したマシンを再現予定。そのスタイルはもちろん、リヤカウルやリヤからのぞくエンジンルームなどもリアルにモデル化。耐久 レース用の補助ライトなどもセット、コクピットもロールバーをはじめスパルタンな仕上がりを楽しんでいただけます。※1次予約締切日:2019/05/12※1次予約のみで受付を終了する場合がございます。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
1970年代に絶大な人気を集めたカウンタックLP500Sが帰ってきました。■ウェッジシェイプボディはクリヤーコートを施したレッドパーツ。■V型12気筒エンジンを少ないパーツで立体感十分に再現し、室内もリアルな仕上がりです。■リトラクタブルライトは開閉選択式。■前輪はステアリング可能。■ドライバー人形付き。■全長=175 mm※1次予約締切日:2019/05/14※本商品は数に限りがございます。ご了承ください。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
モデルはポルシェのグループCカー、ポルシェ956を1/24スケールで再現したプラスチックモデル組み立てキットです。ショートテールのハイウイング仕様をモデル化し、その仕上がり全長19.9cm。モデルはエンジンレスのプロポーションモデルで抑えられた部品構成により手軽に組み立てていただけます。ボディの中でも左右のドアは別パーツで用意。開閉を楽しんでいただけます。もちろん、コクピットも少ないパーツでリアルに表現。ドアの開閉で中を見ることができるだけにディテールアップなどに腕を振るってみるのも楽しいでしょう。そのスタイルから強さの秘密も伝わってくることでしょう。マーキングはポルシェワークスチームのレーシング・ポルシェカラー。カーナンバー1,2,3にイクス、マス、ベロフ、ベル、ホルバートのドライバー名も収録しています。組み立ても安心の日本語説明書付きです。イタレリからはライバルだったランチアLC2も同じ1/24で登場。作り比べも楽しみです。※1次予約締切日:2019/07/17※1次予約のみで受付を終了する場合がございます。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/31
数多くのレースで輝かしい戦績を残したポルシェ 911Rが久しぶりの登場。■‘ポルシェ911’をベースに開発され、僅か20数台しか製作されなかったレース仕様モデル。■スペアタイヤを収納したフロントボンネットは開閉状態を選択可能。■エンジンは車体に組み込むことも、単体で専用のスタンドにのせてディスプレイも可能。※1次予約締切日:2019/07/17※本商品は数に限りがございます。ご了承ください。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/22
■ボディなど主要パーツはホワイトで成型されています。■エンジン自体を単体で飾ることも可能。(専用の展示ラックが付属します。)■ナンバープレートは「国内用」と「海外用」の2種類から選択できます。※1次予約締切日:2019/07/17※本商品は数に限りがございます。ご了承ください。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/22
革新を常とするティーム・ロータスが1970年F-1シーズンのために用意したロータスタイプ72はすぐさまC型まで発展しその年のチャンピオンとなるヨッヘン・リントのドライブで快速を発揮しました。ボディ全体の形を側面から見てクサビ型にして、空気抵抗を極力減らすとともに車体を路面に押し付けるダウンフォースをも獲得しようと試みた最初のF-1マシーンです。ロータスタイプ72はその後も改良を重ねて1975年までグランプリシーズンを戦うことになった息の長い名車です。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
1968年ティームロータスは幅広タイヤの特性にあわせるためタイプ49のフロントタイヤを3インチ前方に移動この変更に対応してリヤサスペンションは新設計とされ、下側のラジアスロッドは、より前方にマウントされるようになりました。 さらに、ヒューランドのFG400ギアボックスの上にオイルタンクとオイルクーラーが載せられ、よりリヤタイヤへの荷重が増すようにされました。 エアロダイナミクスも大幅な変更が加えられ、ノーズは上下2分割構造にされ、その左右には小型のウィングが装着されました。 このタイプ49Bは赤白金色のスポンサーカラーに塗られ、1968年スペインGPでデビューし、続くモナコGPとともにグラハム・ヒルが連勝したのです。 この直後F1にウィングがもたらされると、チーム・ロータスもすぐにフランスGPからウイングを導入しました。しかも、49Bのウィングは他のよりも高く、幅も広いもので、サスペンションのアップライトに装着してダウンフォースを直接タイヤに入力できるようにしていました。他のチームもこぞって導入したハイマウントウイングは走行中に壊れてクラッシュの原因になるケースがあり、FIA、CSIは1969年のモナコGPでこれを禁止とし、次のオランダGPから低い固定式のウイングの規定となりました。チーム・ロータスはこれに対応した低い固定式ウイングをギアボックスの上に装着しました。タイプ49Bは1968年にはグラハム・ヒルとチーム・ロータスがともにチャンピオンを獲得。翌1969年も3月のレース・オブ・チャンピオンではハイマウントリヤウイングのものでヒルが2位となり、リントがファステストラップを記録しました。また、モナコGPではヒルが優勝。さらに低いリヤウイングを備えたマシンで、ヨッヘン・リントがアメリカGPでF1初優勝。翌年のチャンピオン獲得への契機となったのでした。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
ケン・ティレル率いるティレル・レーシング・オーガニゼーションは、1969年にマトラMS80とジャッキー・スチュワートでチャンピオンを獲得しました。 ティレルは1970年から独自のチームでF1参戦することになりました。当初はマーチ701を購入して参戦していましたが、高い戦闘力を求めて独自マシンの製作へと動きました。マトラMS84の四輪駆動システムを担当していたエンジニア、デレック・ガードナーをデザイナーに起用しました。ガードナーにとって初設計のF1マシンはティレル001とされ高い走行性能を示しました。1971年に向けて001の改良型である002と003を製作したのです。アルミモノコックの後端には、ガードナーのマシンの特徴となるエンジンとリヤサスペンションのマウントを兼ねた大きな環状のロールフープも装着されていました。 002は開幕戦からフランソワ・セヴェールが、003はスペインGPからスチュワートのマシンになりました。 スチュワートは001で序盤戦を戦い、003のデビュー戦スペインGPで優勝。続くモナコGPでもポール・トゥ・ウィンを達成しました。さらにスポーツカーノーズに変更された003でフランス、イギリス、ドイツでの3連勝に加えて、カナダGPでも優勝。この年自身2度目のワールドチャンピオンを獲得しました。 002に乗ったセヴェールも、アメリカGPでの優勝と4回の表彰台を獲得。003と002は、チーム・ティレルに初のコンストラクターズチャンピオンももたらしたのです。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
タイプ72Eはデビュー戦のスペインGPで、フィッティバルディが優勝。そしてその年チームに加入したロニー・ピーターソンが、フランスGP、オーストリアGP、イタリアGP、アメリカGPで優勝。ドライバーズチャンピオンは逃したものの、チーム・ロータスは2年連続コンストラクターズチャンピオンを獲得しました。1974年もチーム・ロータスはタイプ72Eをピーターソンとジャッキー・イクスに託しました。ピーターソンはモナコGP、フランスGP、イタリアGPで優勝しました。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
1979年にチーム・ロータスはタイプ80でポーパシングという車体が上下に激しく震動する問題に直面。ピーター・ライトは、ダウンフォースを発生するボディと、シャーシとを分けたツインシャシー構造という対策を考案しました。翌年にテストカーのタイプ86でその効果を確認したライトとマーティン・オグルヴィーは、この結果をもとに1981年用マシン、タイプ88を開発しました。ツインシャシー構造というのは、ダウンフォースを発生するボディ部分がプライマリーシャシー、従来のシャシーがセカンダリーシャシーと、二つのシャシーを備えていたからでした。レギュレーションではシャシーは可動するサスペンションを備えたものとされていたので、タイヤへダウンフォースを伝えるための小型サスペンションが付いていたボディ部分もシャシーと解釈できたのです。このプライマリーシャシーは、走り出すとダウンフォースで下がり、1981年から導入された「静止状態での最低地上高6cm」という規定をクリアしながら、走行中には大きなダウンフォースを発生できました。タイプ88のセカンダリーシャシーはF1史上初のカーボンコンポジットモノコックでした。ノーメックス製ハニカムをカーボンファイバーとケブラーでサンドイッチにした軽量で高剛性なモノコックは、チーム・ロータスが独自に開発、製造していました。タイプ88は1981年にロングビーチGPブラジルGP、アルゼンチンGPにエリオ・デ・アンジェリスのマシンとして投入されましたが、出走禁止にされました。チーム・ロータスでは、タイプ87で戦う一方で、タイプ88のBスペックを準備していました。このタイプ88Bは、ラジエーターの装着位置がセカンダリーシャシーからプライマリーシャシー側に移され、プライマリーシャシーのサスペンションも改良されていました。イギリスGPには、スペインGPから復活した黒いカラーリングとしたタイプ88Bがデアンジェリスとナイジェル・マンセル用として投入されました。タイヤもグッドイヤーに変わりました。しかし、車検は通ったにもかかわらず、またFISAによって出走を禁止されてしまいました。この裏には他チームがツインシャシーの性能を危惧して抗議したことや、当時のF1での政治闘争の影響もありました。タイプ88と88Bは実践でその実力を発揮できませんでしたが、カーボンコンポジットシャシーでF1のみならず自動車技術に大きな進歩をもたらしました。タイプ88は2台ともBスペックで現存し、近年のヒストリックイベントで活躍してツインシャシーコンセプトの正しさも実証しています。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
タイプ78と79でグラウンドエフェクトの先駆者となったチーム・ロータスは、1979年にグラウンドエフェクトをより追求したタイプ80でポパーシングという車体が上下に激しく震動する問題に直面しました。この解決のために、ピーター・ライトは1980年にダウンフォースを発生するボディと、シャシーとを分けた構造を考案。ライトとマーティン・オグルヴィーはこの構造を備えたテストカーのタイプ86で、強いダウンフォース発生とポパーシング解消が実現できました。これをもとに実戦用に開発されたのがタイプ88でした。タイプ86と88は、ダウンフォースをタイヤに伝えるためにボディ部分にも小型のサスペンションが付いていました。レギュレーションではシャシーは可動するサスペンションを備えたものとされていたため、このボディ部分もシャシーと定義できました。結果、このボディ部分をプライマリーシャシー、従来のシャシーをセカンダリーシャシーとし、二つのシャシーを備えることから「ツインシャシー」としました。 サスペンションを備えたプライマリーシャシーは、走り出すとダウンフォースで下がるため、1981年から導入された「静止状態での最低地上高6cm」という規定をクリアしながら、走行中にはより大きなダウンフォースが発生できました。タイプ86の実験ではアルミハニカムモノコックが増大したダウンフォースに対して剛性不足であることもわかりました。その対策として、タイプ88のセカンダリーシャシーを、ノーメックス製ハニカムをサンドイッチにしたカーボンファイバーとケブラーによるモノコックにしました。このチーム・ロータスによる独自のモノコックはF1史上初のカーボンコンポジット製モノコックとなり、従来のアルミハニカム製よりも軽くて剛性も高く、安全性も高いものでした。タイプ88はテスト結果も良好で、1981年にエリオ・デ・アンジェリスのマシンとしてロングビーチGPへ投入されました。しかし、車検は通っていたにもかかわらず、金曜日の走行だけで出走禁止にされてしまいました。続くブラジルGPとアルゼンチンGPでも出走禁止とされました。イギリスGPでは進化型のタイプ88Bも登場しましたが、またFISAによって出走を禁止されてしまいました。タイプ88はその実力を示せずに出走を禁止された悲劇のマシンでした。しかし、カーボンコンボジットシャシーというF1のみならず自動車技術に大きな進歩をもたらしました。近年、タイプ88はヒストリックイベントでその速さをみせて、ツインシャシーコンセプトの正しさも実証しています。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
1982年に向けてチーム・ロータスは、新型マシンのタイプ91を準備しました。前作同様ピーター・ライトとマーティン・オグルビーのコンビを中心に設計されたタイプ91は優美なボディをまとっていました。その中には前年のタイプ88、87と同じ、ノーメックスハニカム材をカーボンファイバーとケブラー繊維で挟んだロータス独自のカーボンコンポジット製モノコックが入っていました。当時パワフルなターボエンジンを備えたライバルに対して、自然吸気のコスワースDFVエンジンで立ち向かわなければならなかったチーム・ロータスにとって、このモノコックの高い剛性と軽さは重要な武器のひとつでした。さらに、コーナリング性能向上に対応するために、サスペンションアーム、アップライト、サスペンション基部となるギアボックスケーシングも、前年のものよりも強化されていました。ホイールベースとフロントレッドは、タイプ77のようにコースにあわせて変更できるようになっていました。イギリスGPからはプルロッド式のフロントサスペンションも登場しましたが、これはレースで使われませんでした。 チーム・ロータスはこのタイプ91を1982年の第2戦ブラジルGPから投入し、エリオ・デ・アンジェリスとナイジェル・マンセルがそのステアリングを握りました。マンセルはこのタイプ91のデビュー戦で3位となり、モナコGPでも4位となりました。デ・アンジェリスは、タイプ91で出走した14戦中6戦で入賞したのに加えて、オーストリアGPでは終盤にトップに立つと、ウィリアムズのケケ・ロズベルグの猛追から逃げ切り、0.05秒差で優勝しました。この勝利は、デ・アンジェリスにとって初優勝であるのと同時に、チーム・ロータスにとっても1978年オランダGP以来の優勝となりました。そして、これがチーム・ロータスの創業者コリン・チャップマンにとって、優勝のときに恒例としていた帽子投げを最後に行った瞬間でもありました。さらに、コスワースDFVエンジンの150勝目でもあり、タイプ49から続いたロータスとDFVとの最後の勝利でもありました。 この年のシーズンオフにドニントンサーキットで行われたテストでは、中嶋悟が初のF1走行をこのタイプ91で実現しました。このテストを視察した直後、チャップマンは1982タイプ91は、チャップマンが率いたチーム・ロータスの最期を飾るマシンとして、その劇的なゴールシーンとともに、多くのレースファンの思い出に残るマシンとなりました。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
あのマクラーレン・ホンダが、23年ぶりにF1へ帰ってくる……!1988~1992年にかけてグランプリを席巻した名コンビが復活するという噂は、瞬く間に世間を駆け巡りました。そして、我が国における第二次F1ブームにマクラーレン・ホンダをドライブしたアイルトン・セナやアラン・プロストに熱狂した人たちは、あのときの快進撃が再現されると信じて疑わなかったはずです。 しかし実際には、現在のF1はかつてのF1とは別カテゴリーと思えるほどに様変わりしており、同チームは想像を絶する苦戦を強いられることになりました。MP4-30はそんな新生マクラーレン・ホンダの苦闘の記憶が刻み込まれた、成績どうこうだけでは語れぬ1台といえるでしょう。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
あのマクラーレン・ホンダが、23年ぶりにF1へ帰ってくる……!1988~1992年にかけてグランプリを席巻した名コンビが復活するという噂は、瞬く間に世間を駆け巡りました。そして、我が国における第二次F1ブームにマクラーレン・ホンダをドライブしたアイルトン・セナやアラン・プロストに熱狂した人たちは、あのときの快進撃が再現されると信じて疑わなかったはずです。 しかし実際には、現在のF1はかつてのF1とは別カテゴリーと思えるほどに様変わりしており、同チームは想像を絶する苦戦を強いられることになりました。MP4-30はそんな新生マクラーレン・ホンダの苦闘の記憶が刻み込まれた、成績どうこうだけでは語れぬ1台といえるでしょう。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
史上最強タッグたるマクラーレン・ホンダが、23年ぶりにF1へ戻ってきた……!2015年のF1グランプリシーズン開幕前は、この話題で一色に染まっていたと言っても過言ではないでしょう。しかしいざ蓋を開けてみれば、同チームは当初の予想を大幅に下まわり最下位争いに巻き込まれたままシーズンを終えてしまいます。「時期尚早に理想を追い求め過ぎたのではないか?」そうした世論が渦巻くなか、マクラーレン・ホンダはあえて前年のコンセプトを踏襲した正常進化させたMP4-31を2016年シーズンに投入。優勝争いにこそ加われなかったものの着実に速さを増し続け、コンストラクターズポイントランキング6位にてシーズンを終えることになったのです。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
1982年に向けてチーム・ロータスは、新型マシンのタイプ91を準備しました。前作同様ピーター・ライトとマーティン・オグルビーのコンビを中心に設計されたタイプ91は優美なボディをまとっていました。その中には前年のタイプ88、87と同じ、ノーメックスハニカム材をカーボンファイバーとケブラー繊維で挟んだロータス独自のカーボンコンポジット製モノコックが入っていました。当時パワフルなターボエンジンを備えたライバルに対して、自然吸気のコスワースDFVエンジンで立ち向かわなければならなかったチーム・ロータスにとって、このモノコックの高い剛性と軽さは重要な武器のひとつでした。さらに、コーナリング性能向上に対応するために、サスペンションアーム、アップライト、サスペンション基部となるギアボックスケーシングも、前年のものよりも強化されていました。ホイールベースとフロントレッドは、タイプ77のようにコースにあわせて変更できるようになっていました。イギリスGPからはプルロッド式のフロントサスペンションも登場しましたが、これはレースで使われませんでした。 チーム・ロータスはこのタイプ91を1982年の第2戦ブラジルGPから投入し、エリオ・デ・アンジェリスとナイジェル・マンセルがそのステアリングを握りました。マンセルはこのタイプ91のデビュー戦で3位となり、モナコGPでも4位となりました。デ・アンジェリスは、タイプ91で出走した14戦中6戦で入賞したのに加えて、オーストリアGPでは終盤にトップに立つと、ウィリアムズのケケ・ロズベルグの猛追から逃げ切り、0.05秒差で優勝しました。この勝利は、デ・アンジェリスにとって初優勝であるのと同時に、チーム・ロータスにとっても1978年オランダGP以来の優勝となりました。そして、これがチーム・ロータスの創業者コリン・チャップマンにとって、優勝のときに恒例としていた帽子投げを最後に行った瞬間でもありました。さらに、コスワースDFVエンジンの150勝目でもあり、タイプ49から続いたロータスとDFVとの最後の勝利でもありました。 この年のシーズンオフにドニントンサーキットで行われたテストでは、中嶋悟が初のF1走行をこのタイプ91で実現しました。このテストを視察した直後、チャップマンは1982タイプ91は、チャップマンが率いたチーム・ロータスの最期を飾るマシンとして、その劇的なゴールシーンとともに、多くのレースファンの思い出に残るマシンとなりました。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
1964年にF2の規定が改訂され、排気量1000cc4気筒までならレース専用設計のエンジンが使えるようになりました。当時のF2は、F1ドライバーも出走してとても盛んなレースになっていました。ここのホンダは独自のエンジンを供給することを決定。 1965年RA300EtoiuF2エンジンが完成しました、しかし、1年目のRA300Eはトラブルが続出してしまい、レース成績もよくありませんでした。 1966年、ホンダは新設計のRA302Eを投入します。RA302Eは、前作のRA300Eは15馬力上回る150馬力を発生しました。 シャシーはブラバムお得意の鋼管スペースフレームBT18を投入。このシャシーにRA302Eが搭載されました。通称ブラバム・ホンダはブラバムワークスチームのマシンとして出走。ジャック・ブラバムとデニー・ハルムが操縦しました。1966年のブラバム・ホンダは前年とは打って変わって、グッドウッドでのブラバム-ハルムによる1-2フィニッシュを皮切りにアルビGPまで11連勝の新記録を樹立。全12戦出走中、ブラバム9勝、ハルム2勝、1-2フィニッシュ5回、大部分のレースでファステストラップを記録するという圧倒的な速さをみせたのでした。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
1961年のパリサロンでお披露目されたルノー発の前輪駆動乗用車ルノー4、それまでリアエンジン後輪駆動のルノー4CV、ドーフィン R8を主力としていたルノーは、そのエンジン、トランスミッションをそのまま車の前方に移動して前輪を駆動することになったので、トランスミッションは車体の最も前方に置かれます。そのためギアシフトはエンジンの上を通る長いロッドでコントロールされシフトノブはそのままダッシュボードを貫通して室内に配されます。 サスペンションは4輪共に長いトーションバースプリングで作動し、ソフトな乗り心地を実現しました。長いトーションバースプリングを2本前後に並べるリアサスペンションは結果としてホイールベースが左右で4センチも異なる異例のレイアウトとなります。実用的なリアゲートを備えた4枚ドアのボディスタイルはけして美しくもかっこ良くもないものの、そのほのぼのとした暖かさから世界中で愛され1992年までの32年間で800万台を超える生産数となりました。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
1961年秋のルノー4の登場は、パリの人々を大いに沸かせるような出来事であった。毎年恒例のパリ・ショーが始まるその日に、200台の新型車がパリの中を、縦横に走り回ったのである。それぞれの車にはルノーの人間がついていた。そして希望する人たちには自由にその新型車を試乗させた。ルノー4は、これだけ大規模な宣伝作戦を実施するほど、彼らにとって重要な新型車だったのである。新世代のルノーとなるべき新型車は、同社の乗用車としては初めてとなる前輪駆動方式を採用し、リアにテールゲートを持ったステーションワゴンのようなボディとして登場した。小型車としては背が高く、ワゴンのような5ドア・ボディを持ったルノー4は、リアエンジンの4CVやドーフィンの一族に比べれば、大きな荷物の収容スペースを持っていた。そのルノー4を追いかけるように、さらに大きな荷物を積み込むことができる荷役車フルゴネットをシリーズに追加する。これはセンターピラーの後ろに、一段背の高くなったカーゴスペースを設けたものだ。先行していたシトロエン2CVフルゴネットの強力なライバルの登場である。ルノー4フルゴネットは荷室が運転席の屋根より一段高く大きく、なおその屋根の四隅は丸く整形されていたから、どことなくユーモラスで温かみを感じさせるように思われる。世界中どこでも花屋や牛乳屋に愛されている所以であろう。走行装置は乗用車と基本的に変わらない。従って、後ろへ積む荷物の位置さえ固定しておけば、走行感覚は乗用車と変わらない。後にはロングボディ・モデルやリアシートを持つもの、荷室のウインドーの設け方の違いなど、バリエーションも増えていった。そうしてフルゴネットはルノー4シリーズの中で欠かすことのできない人気車種となり、乗用車がいくつかの世代に進化してからも、エキスプレス、あるいは現在のカングーと名前を変えて、常にルノーの中の愛すべきキャラクターになっている。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
シトロエンは早くから本国フランス以外に工場を設けた。最初に操業を始めたのはスラウ(Slough)の英国工場である。シトロエンがここに工場を設けたのは、ヨーロッパ大陸の国が右側通行であるのに対して、英国は左側通行、従って右ハンドル仕様を作る必要があるからである。その頃の英国は南アフリカやオーストラリア、ニュージーランドなど、英連邦に属する確固たる繋がりがあった。そうした英連邦の国はいずれも左側通行を踏襲していたから、スラウ製のシトロエンは多くの国に輸出することができたのである。英国シトロエンでは、2CVフルゴネットをベースにピックアップを生産することになる。リブの入った鋼板で作られたリアサイドパネルはそのまま活かされた、ただフルゴネットではキャビンと荷室がつながっているために、ピックアップを作るにあたっては、キャビン後方に専用パネルを設けることが必要であった。中央に横長のウインドーを持ち、キャビン部分とは丸みを持ってつながるリアパネルが構築された。残念ながらスラウ製2CVは、主要部品をフランスから運んでくることなどもあって、英国のライバルに対しては価格競争力が弱く、このピックアップはさほど売れなかったようだ。スラウ製2cvには、ボンネットにマスコットが付けられていた。円形のなかに、シトロエン フロントホイール ドライブ(前輪駆動)の文字の入ったマスコットは重量の軽減を第一とした英国海軍用のピックアップにも残されていた、英国製であることを示したかったのだろうか。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
1950年代のパリは現代から比べると鮮やかな色彩の乏しい、モノトーンの世界といってよかった。エッフェル塔はまだまばゆい照明など浴びてはいなかったし、路地といえばフィルム・ノワールの映画のように暗く沈んでいた。写真家、ロベール・ドアノーはそのパリの路地を夜毎さまよって、美しいモノクロの写真集を世に送り出した。走り回る車にしても、シトロエン・トラクション・アヴァンは黒、2CVとHトラックはグレイと決まっていた。その頃、風景全体がモノクロの世界であったのである。 Hトラックは1947年の夏に、シトロエンとしては戦後初の新型車として登場した。フランスでは大戦中に多くの車が消耗したことで、人々の生活に必要な物資の輸送に困難をきたしていた。Hトラックはそのような時代に送り出された1トン・クラスの商業車であったので、砂漠に染み込む慈雨のようにフランス中に広まった。Hトラックのベースになったのは、戦前に極少数が生産されたTUBと呼ばれるワンボックス・バンである。乗用車のトラクション・アヴァンの前輪駆動システムを利用していて、広い荷物スペースを生み出すと同時に、運転席をエンジンの上に配置、運転席から荷物室へ自由に出入りできるように作られていた。戦後この前輪駆動とキャプオーバー式のワンボックス・ボディは、ヨーロッパでの小型商業車の定番となる。TUBからHトラックへの移行で最も大きく変わったのはボディである。TUBではフラミニオ・ベルトーニが関与していたと言われ、ワンボックスながらキャビン先端に向けて微妙に絞り込まれるなど、デザイナーの存在が感じられる。一方のHトラックでは、深いカーブ、絞りを持つボディパネルはキャブ部分の屋根だけで、残るパネルはすべて平面で構成されている。また、ドアも含めたほとんどのパネルにリブを設けたコルゲート板を使用していた。これはボディ設計が行われた1940年代末の時点で、戦争の影響で大きな曲面を作るために必要なプレス機械が失われ、やむなくとられた方法であったという。そして平面だけで作られたボディが、武骨なものにならずに、個性と存在感を感じさせるものになったのは、シトロエンの人々に流れる美意識の強さなのだろうか。TUBはフレームを備えていたが、Hトラックのボディはモノコックで作られた。そこから荷室の床はごく低く、積み下ろしがごく楽にできるようになったし、広いスペースも生み出された。その広い荷室を生かして、Hトラックは小口の配達はもちろん、救急車や警察車、車の積載車など、多くの用途に用いられた。中でも人々の記憶に残るのは、フェスティバルなどの際に、カフェやサンドイッチを売っていた移動食堂の姿であったであろう。Hトラックはディーゼル・エンジン仕様やロングホイールベース版など、多くのバリエーションを生んだが、1981年12月14日の生産終了まで、ほとんどボディスタイルは変わらなかった。総生産数は47万3289台という。当初グレイ一色であったボディカラーにようやく白と青と黄色が加わったのは、生産期間の半ばを過ぎたころである。※本商品と他商品を一緒に注文された場合、在庫状況やメーカー販売期間によっては注文を分割発送させていただく場合がございますので予めご了承ください。ご注文後のキャンセルは原則、承っておりません。事前に十分にご検討いただいた上でご注文ください。
公開日: 2019/07/19
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