1/20 チーム ロータス タイプ 91 1982 イギリス GP
1982年に向けてチーム・ロータスは、新型マシンのタイプ91を準備しました。
前作同様ピーター・ライトとマーティン・オグルビーのコンビを中心に設計されたタイプ91は優美なボディをまとっていました。
その中には前年のタイプ88、87と同じ、ノーメックスハニカム材をカーボンファイバーとケブラー繊維で挟んだロータス独自のカーボンコンポジット製モノコックが入っていました。
当時パワフルなターボエンジンを備えたライバルに対して、自然吸気のコスワースDFVエンジンで立ち向かわなければならなかったチーム・ロータスにとって、このモノコックの高い剛性と軽さは重要な武器のひとつでした。
さらに、コーナリング性能向上に対応するために、サスペンションアーム、アップライト、サスペンション基部となるギアボックスケーシングも、前年のものよりも強化されていました。
ホイールベースとフロントレッドは、タイプ77のようにコースにあわせて変更できるようになっていました。
イギリスGPからはプルロッド式のフロントサスペンションも登場しましたが、これはレースで使われませんでした。
チーム・ロータスはこのタイプ91を1982年の第2戦ブラジルGPから投入し、エリオ・デ・アンジェリスとナイジェル・マンセルがそのステアリングを握りました。
マンセルはこのタイプ91のデビュー戦で3位となり、モナコGPでも4位となりました。
デ・アンジェリスは、タイプ91で出走した14戦中6戦で入賞したのに加えて、オーストリアGPでは終盤にトップに立つと、ウィリアムズのケケ・ロズベルグの猛追から逃げ切り、0.05秒差で優勝しました。
この勝利は、デ・アンジェリスにとって初優勝であるのと同時に、チーム・ロータスにとっても1978年オランダGP以来の優勝となりました。
そして、これがチーム・ロータスの創業者コリン・チャップマンにとって、優勝のときに恒例としていた帽子投げを最後に行った瞬間でもありました。
さらに、コスワースDFVエンジンの150勝目でもあり、タイプ49から続いたロータスとDFVとの最後の勝利でもありました。
この年のシーズンオフにドニントンサーキットで行われたテストでは、中嶋悟が初のF1走行をこのタイプ91で実現しました。
このテストを視察した直後、チャップマンは1982タイプ91は、チャップマンが率いたチーム・ロータスの最期を飾るマシンとして、その劇的なゴールシーンとともに、多くのレースファンの思い出に残るマシンとなりました。
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