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1/24 シトロエン Hバン

1950年代のパリは現代から比べると鮮やかな色彩の乏しい、モノトーンの世界といってよかった。
エッフェル塔はまだまばゆい照明など浴びてはいなかったし、路地といえばフィルム・ノワールの映画のように暗く沈んでいた。
写真家、ロベール・ドアノーはそのパリの路地を夜毎さまよって、美しいモノクロの写真集を世に送り出した。
走り回る車にしても、シトロエン・トラクション・アヴァンは黒、2CVとHトラックはグレイと決まっていた。
その頃、風景全体がモノクロの世界であったのである。
Hトラックは1947年の夏に、シトロエンとしては戦後初の新型車として登場した。
フランスでは大戦中に多くの車が消耗したことで、人々の生活に必要な物資の輸送に困難をきたしていた。
Hトラックはそのような時代に送り出された1トン・クラスの商業車であったので、砂漠に染み込む慈雨のようにフランス中に広まった。
Hトラックのベースになったのは、戦前に極少数が生産されたTUBと呼ばれるワンボックス・バンである。
乗用車のトラクション・アヴァンの前輪駆動システムを利用していて、広い荷物スペースを生み出すと同時に、運転席をエンジンの上に配置、運転席から荷物室へ自由に出入りできるように作られていた。
戦後この前輪駆動とキャプオーバー式のワンボックス・ボディは、ヨーロッパでの小型商業車の定番となる。
TUBからHトラックへの移行で最も大きく変わったのはボディである。
TUBではフラミニオ・ベルトーニが関与していたと言われ、ワンボックスながらキャビン先端に向けて微妙に絞り込まれるなど、デザイナーの存在が感じられる。
一方のHトラックでは、深いカーブ、絞りを持つボディパネルはキャブ部分の屋根だけで、残るパネルはすべて平面で構成されている。
また、ドアも含めたほとんどのパネルにリブを設けたコルゲート板を使用していた。
これはボディ設計が行われた1940年代末の時点で、戦争の影響で大きな曲面を作るために必要なプレス機械が失われ、やむなくとられた方法であったという。
そして平面だけで作られたボディが、武骨なものにならずに、個性と存在感を感じさせるものになったのは、シトロエンの人々に流れる美意識の強さなのだろうか。
TUBはフレームを備えていたが、Hトラックのボディはモノコックで作られた。
そこから荷室の床はごく低く、積み下ろしがごく楽にできるようになったし、広いスペースも生み出された。
その広い荷室を生かして、Hトラックは小口の配達はもちろん、救急車や警察車、車の積載車など、多くの用途に用いられた。
中でも人々の記憶に残るのは、フェスティバルなどの際に、カフェやサンドイッチを売っていた移動食堂の姿であったであろう。
Hトラックはディーゼル・エンジン仕様やロングホイールベース版など、多くのバリエーションを生んだが、1981年12月14日の生産終了まで、ほとんどボディスタイルは変わらなかった。
総生産数は47万3289台という。
当初グレイ一色であったボディカラーにようやく白と青と黄色が加わったのは、生産期間の半ばを過ぎたころである。
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