創設から1世紀を迎えた節目の年,山口組はふたつに割れた。<br />その背景として弘道会と山健組の対立が巻問語られているが,六代目山口組の分裂劇は,渡辺五代目が中野太郎を切ったときから,すでに始まっていた。<br />若頭の専横から組長を守ろうとした忠臣報いてやれなかったとき,山口組はもう神戸の山口組であることをやめていたのだ。<br />