昭和十六年九月、渕田美津雄は第一航空艦隊全飛行機隊の総指揮をとるよう命じられた。<br />彼に与えられた密命は、来るべき真珠湾攻撃の際の空中部隊総指揮官という大役であった――。<br />かつて教育勅語の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」の一節に感銘した少年が、戦後は聖書の「父よ彼らを赦したまえ、そのなすところを知らざればなり」の言葉に覚醒し、伝道師として再出発する。<br />(『渕田美津雄中佐の生涯』改題)