見えない障害や後遺症が誤解を生んでしまう
ついに見えない障害や後遺症を、説明しなければならない人生が始まった。
退院して乗って帰ってきた車を自宅の前に止めていた。
そのことで、ご近所さんからすぐに苦情が来た。
そのことは当然だと思っている。
ただそれは私がやっと我家の玄関に辿りついた時だった。
邪魔だから移動させろと言われている私。
まだ歩けない。
車椅子も持っていなかった。
我家の駐車場は家から離れた場所にある。
この時すでに私の体には異変が起こり始めていた。
自分の体の異変に、私は驚きと恐怖を感じて恐かった。
説明しなくてはいけないことは自覚している。
ただこの時は余裕が無かった。
すでに私は、意識不明になりかけていた。
留守中の、いろんなことを話そうとしているのは、分かっていた。
退院したての頃この私の下半身の痺れは、猛烈なものだった。
外からは見えない痺れが増殖し始めていた。
ついに私は足元から崩れるように、廊下に倒れ込んで行った。
ちょっとだけ待ってほしかった。
座れば、意識は快復してくるはずだ。
だが座るのにもまだ不慣れだった。
その間も好奇の目だけが私に向けられた。
いくら自分の体の中で起きている後遺症を、障害を説明しようとしても、相手には見えない。
見えないものを説明しなければならないのは、とてつもなく難しかった。
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