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慟哭の海峡

2013年10月、2人の老人が死んだ。
1人は大正8年生まれの94歳、もう1人はふたつ下の92歳だった。
2人は互いに会ったこともなければ、お互いを意識したこともない。
まったく別々の人生を歩み、まったく知らないままに同じ時期に亡くなった。
太平洋戦争(大東亜戦争)時、‘輸送船の墓場’と称され、10万を超える日本兵が犠牲になったとされる「バシー海峡」。
2人に共通するのは、この台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡に「強い思いを持っていたこと」だけである。
1人は、バシー海峡で弟を喪ったアンパンマンの作者・やなせたかし。
もう1人は、炎熱のバシー海峡を12日間も漂流して、奇跡の生還を遂げた中嶋秀次である。
やなせは心の奥底に哀しみと寂しさを抱えながら、晩年に「アンパンマン」という、子供たちに勇気と希望を与え続けるヒーローを生み出した。
一方、中嶋は死んだ戦友の鎮魂のために戦後の人生を捧げ、長い歳月の末に、バシー海峡が見渡せる丘に「潮音寺」という寺院を建立する。
膨大な数の若者が戦争の最前線に立ち、そして死んでいった。
2人が生きた若き日々は、「生きること」自体を拒まれ、多くの同世代の人間が無念の思いを呑み込んで死んでいった時代だった。
異国の土となり、蒼い海原の底に沈んでいった大正生まれの男たちは、実に200万人にものぼる。
隣り合わせの「生」と「死」の狭間で揺れ、最後まで自己犠牲を貫いた若者たち。
「アンパンマン」に込められた想いと、彼らが「生きた時代」とはどのようなものだったのか。
‘世紀のヒーロー’アンパンマンとは、いったい「誰」なのですか――? 今、明かされる、「慟哭の海峡」をめぐる真実の物語。




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