公文書危機 闇に葬られた記録
「隠す」、「残さない」、「そもそもつくらない」。
「森友・加計学園」や「桜を見る会」の問題で 明らかになった、公文書の軽視。
現政権によってエスカレートする 民主主義崩壊の実態に迫る。
国がどのように物ごとを決めたのか、政府の政策決定の過程がまったく検証できなくなっている。
「森友・加計学園」「桜を見る会」、そして検察庁法改正案......これらに共通して見られるのは、政権による公文書の軽視だ。
省庁は、表に出せない公文書を請求されると、「私的な文書」にすり替え、捨ててしまう。
あるいは捨てたことにする。
重要なやりとりをメールで行い、「メールは電話で話すのと同じ」と言って公文書にしない。
公開対象の公文書ファイルのタイトルをわざとぼかし、その中身を知られないようにもしていた。
きわめつきは、官僚にメモすら取らせない、首相や大臣の徹底的な情報統制だ。
証拠を隠し、捨てるどころか、そもそも記録を残さないようにしていた。
情報開示請求を重ね、官僚が重い口を開く。
一歩ずつ真実に近づいてゆく、取材班の記録。
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