石坂洋次郎の逆襲
【「はじめに」より抜萃』石坂洋次郎ほど時代とともに忘れられたと思わせる作家は少ない。
/映画『青い山脈』は1949(昭和24)年に封切られたが、大ヒットし、その主題歌とともにほとんど戦後民主主義の代名詞と見なされた。
以後、石坂原作の映画が封切られない年は、1960年代末にいたるまでなかった。
1950年代から60年代にかけて、石坂ほど映画化された小説家はいなかっただろう。
旧作はもちろん、新作にしても小説が刊行されると同時に映画も封切られるといった状態にまでなっていた。
典型的な流行作家だったのだ。
だが、70年代に入るやいなや、その流行はあっという間に衰えた。
これほど急激に語られなくなった作家はいなかったのではないかと思われるほどだ。
(中略)/石坂には、事実、明朗健全以上に重要な特徴があるのだ。
それは「女を主体として描く」という特徴である。
主人公と言わずに主体と言うのは、女は主人公であるのみならず、必ず、主体的に男を選び主体的に行動する存在として描かれているからである。
女は見られ選ばれる客体である以上に、自ら進んで男を選び、男に結婚を促し、自分自身の事業を展開する主体なのだ。
明朗健全な爽やかさはこの主体的な女性が結果的に醸し出すのであって、逆ではない。
(中略)/石坂が70年代において急激に読まれなくなったのは、その作品の本質を知ることなく、たんに明朗健全なだけの深みのない作品として退ける風が文壇に広まっていたからだろうと、私は思う。
だが、それがいかに浅薄な見方であったか、いまや思い知るべき時が来たのだと私は考えている。
(中略)/主題は近親相姦、それも、形容矛盾のように響くだろうが、いわば明朗健全な近親相姦――戸籍上は近親相姦になるが生物学的にはそうではない――である。
当然のごとく映画化もされなかった。
いわば明朗健全が極限に達し、読者をして、個人とは何か、家族とは何か、社会とは何かという、人間社会の根底を揺さぶる問いに直面させるからである。
(中略)/……石坂には、どこか人類学者に近いところがある。
石坂もミードも、人類学者の視線を社会が要請するようになったまさにその場所に登場したのだ。
石坂文学はつまりひとつの社会現象でもあったのである。
しかも石坂文学を必要とした社会の状態はいまも少しも終わってはいない。
忘れられていたあいだに、むしろ強まっているのだ。
/石坂を知るには、フェミニストとして著名なリーアン・アイスラーの『聖杯と剣』や、それへの批判を含むシンシア・エラーの『紳士とアマゾン』を参照するのがいい。
なかでも歴史人口学者エマニュエル・トッドの『家族システムの起源』は必読の文献といっていい。
石坂が過激な小説家であり、家族システムが全世界的に過渡期にあるいまこそ、その過激さが必要とされていることを思い知らせてくれるからである。
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