般若経 空の世界
「世界に固定した実体は存在しない。
あらゆるものは’空’である」。
ものへの執着と、輪廻の恐怖から人々を解放した「般若経」。
1世紀半ばといわれる成立以降、数々の翻訳や加筆により、分散や繰り返しも多く、理解が難しかった大経典に、<空思想>の泰斗が正面から対峙。
素朴で力強い思想の魅力を描きつつ、仏教思想史における位置と意味を明らかにする! 本書の原本は二〇〇二年八月、中公文庫BIBLIOより刊行されました。
目次まえがき序章 説話と思想玄沙出家『ヴィシュヴァーンタラ・ジャータカ』布施太子の入山常悲菩薩本生サダープラルディタ(常悲)とダルモードガタ(法来)哲学の発生第一章 大乗仏教への道シャーキヤ・ムニと大乗の菩薩出家と在家ストゥーパ (舎利塔)とヴィハーラ(精舎)教団の分裂ジャータカ (本生話)とアヴァダーナ(譬喩)第二章 般若経の背景」ボサツと菩薩僧院の仏教すべてがあると主張する者――有部の哲学(1)区別の哲学――有部の哲学(2)三世実有・法体恒有――有部の哲学(3)第三章 「般若経」の出現『八千頌般若経』の成立過去仏・現在仏・未来仏アクショービヤ如来哲人マイトレーヤ (弥勒)「般若経」の発展第四章 「般若経」の思想(1)仏母の発見菩薩大士大乗――声聞・独覚の批判本来清浄――実在論批判 第五章 「般若経」の思想(2)不二般若波羅蜜廻向――ふりむけの思想巧みな手だて菩薩の階位縁起と空参考文献内容紹介たとえば私の目の前にある机という個物は机という本体をもっていない。
なるほど私がその前にすわってその上で原稿を書けば、それは机である。
しかし私がそれに腰かければそれは椅子以外の何であろうか。
(中略)そのようにさまざまな認識とさまざまな効用が起こるのは、その机に机の本体がないからである。
机は机として空であり、本体は思惟における概念にすぎない。
愛情は凡夫にとっては迷いの絆きずなであるけれども、菩薩や仏陀にとっては有情を見捨てない慈悲である。
どうしてそこにただ煩悩という本体だけを認めることができようか。
―――第五章「般若経」の思想(2) より
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