戦後70年 あの戦争は何だったのか 「一億玉砕」という亡国思想―新潮45eBooklet
昭和18年5月、アッツ島の戦いで、突撃の前に支隊長はこう訓示を述べた。
〈弾丸が尽きたら銃剣で闘え/剣が折れたら拳で撃て/拳が砕けたら歯でもって敵を噛め……〉。
そして約2,600人の守備隊は全滅したのだが、この戦いから大本営は「全滅」を「玉砕」と言い替えるようになった。
それは太平洋戦争が「軍事」から「死の美学」へと転じていくことに等しかった。
その「十死零生」の戦法は、やがて民間人にも要求されていった。
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