お金の叡智
お金について何を言おうと、必ずその反対語もついてまわる。
お金は粗野であり高貴である。
虚構でありながら現実でもある。
人を引き離すこともあれば、結びつけもする。
たくさんあれば恐ろしくなるが、足りないのも恐ろしい。
悪を行う善であり、善を行う悪でもある。
お金は叡智探究の裏付けになる。
これは二つの意味に理解される。
お金を持つのは賢明であり、それに対する批判的思索も賢明だということだ。
お金は常に我々に自分の欲望、財産、負債と折り合いをつけるよう強いる。
誰であろうとすべての人を哲学者にしてしまう。
賢く考えることは、自分自身と他人のために賢く遣うことでもある。
お金は露呈させる。
ケチと浪費家、守銭奴と嫉妬深い輩を暴く。
懐具合はすべてを明らかにする。
誰もお金に気を許せない。
それを憎んでいると信じている者でも、内心ではそれを崇めている。
それを崇めている者は、過大評価している。
それを軽蔑しているふりをしている者は、自分をごまかしている。
問題をはらんだ情熱、不可能な非難。
そこが難しいところだ。
お金について語ることは常に、自分について語ることである。
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