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JR東日本はこうして車両をつくってきた

1987(昭和62)年、国鉄の分割・民営化によって誕生したJR東日本は、1万両を超す車両を保有する日本最大の鉄道会社となる。
しかし発足した当初は、国鉄時代の古いタイプの車両が大半を占め、技術革新の遅れも目立っていた。
民間会社に移行し、顧客優先の志向のなかで、どのようにしてJR東日本独自の車両が生み出されていったのか。
その過程と舞台裏を、JR東日本で運輸車両部長などを歴任し、運転計画や車両開発に深く関わってきた、白川保友氏の証言によって浮き彫りにする。
■著者紹介白川保友(しらかわやすとも)1971年、国鉄入社。
長野運転所助役(381系担当)、勝田電車区長、蒲田電車区長、運転局車務課補佐(電車検修)、東京南鉄道管理局電車課長など、主として電車関係の仕事に従事。
1987年、東日本旅客鉄道入社。
広報課長、東京地域本社運輸車両部長、取締役鉄道事業本部運輸車両部長、常務取締役鉄道事業本部副本部長などを歴任。
2004年よりセントラル警備保障(株)。
社長、会長を経て現在は取締役相談役。
和田 洋(わだ ひろし)1950年生まれ。
神奈川県藤沢市で東海道本線の優等列車を見ながら育つ。
1974年、東京大学文学部卒。
新聞社勤務を経て現在は会社役員。
子どもの頃から鉄道車両、とくに客車を愛好し、鉄道友の会客車気動車研究会会員。
著書に『「阿房列車」の時代と鉄道』(交通新聞社・2015年鉄道友の会 島秀雄記念優秀著作賞)、『客車の迷宮』(交通新聞社新書)などがある。




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