平安京は正三角形でできていた! 京都の風水地理学
平安京の手本となった長安の都・大興城は、北が低く、南が高い地形に合った。
それと正反対の京都の地形では、どのように土地を利用したのか? 建物はどう配置したのか?現代では「当然の常識」ではなくなってしまった風水(本書では、五行説と易を扱う)。
万物は木・火・土・金・水のいずれかに属し、それぞれが関係し合う。
為政者は、大路や建物をそれらに見立て、都を作っていった。
すべては陽と陰に分けられ、その並びで易を読み、性格をつけていく。
例えば、秀吉は平安京を「山風蠱」(刷新のイメージ)として作った。
その後、家康は二条城を設置して「火風鼎」(安定のイメージ)に変えた。
風水で、京都の「そこ」に建物がある意味まで見えてくる。
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