人生は残酷である-実存主義(エリート)の終焉と自然哲学への憧憬
『侘び然び幽玄のこころ』で日本の美しくも厳しい精神哲学を解き明かした著者が、「生きること」の本質と<自分>という存在の根源的命題を問う。
人類73億人のほとんど全員が一生考えることなく終わってしまう人間の根源的命題<自分>について考察する。
池田晶子氏・中島義道氏や永井均氏らの意識論を批判的に分析し、現代哲学の在り方に疑問を呈しながら、新たな哲学(自然哲学=純粋哲学)の必要性を提示している。
著者が一貫して言わんとすることは、エリートと言われる人たち即ち学者や評論家あるいは一流企業人や官僚たちが、ただそれだけでエリートとして通用している事への懐疑と、政治家の器と視野の狭さに対する批判である。
何より、戦後日本が1966年来日の哲学者サルトルによってアンガジェされた現実への警鐘である。
いまだに言論人の支柱となっているアンガージュマンによって左翼思想が蔓延し、日本人の無思考化への著しい悪影響を与えていると分析する。
そして、著者は読者に問いかける―。
「人が考えるということ」「思索すること」とはどういうことなのだろうか。
そして「自分の人生を生きる」とは。
さらには、「自分」が「存在する」ということの本質は何だろうか、と問い直す。
「自分」はなぜ、<自分>なのか―。
高き理想を目指し、いま目の前にある現実を前向きに生きる― この一見矛盾する事柄を止揚統合してこそ、真に生きるということであり、人にはその課題が与えられていると著者は説く。
そのためには、自分の頭で思考し、自分の足で人生を切り拓くしかない、と著者は語り掛けてくる。
社会批評でありながら、読者に<自分>や「人生」について思考させずにはおかない「真に生きる」ことを求める人のための1冊である。
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