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黒霧島物語 宮崎の弱小蔵元が焼酎王者になるまで

「黒霧島」はなぜ日本一の焼酎になったのか?500年の伝統産業である焼酎業界において、1998年発売の芋焼酎「黒霧島」を武器に、全国トップの酒蔵になった霧島酒造。
宮崎県第2の都市、都城市を本拠とする霧島酒造は創業100年の歴史を誇ります。
ところが、芋焼酎では本場の鹿児島県の薩摩酒造が造る「さつま白波」の後塵を拝し、麦焼酎でも後発メーカーの大分県の三和酒類の「いいちこ」に追い抜かれます。
宮崎県では6割のシェアを握る酒蔵であるにもかかわらず、1990年代までは県外で誰も知らないマイナーな酒造会社の1つでした。
ところが3代目に代替わりすると、快進撃を始めます。
2代目の先代社長は品質にこだわるあまり、営業があまりにもおろそかでした。
そこで、まず都会でも受け入れられる「芋臭くない」という画期的な芋焼酎「黒霧島」を開発し、九州最大都市の福岡を皮切りに、広島や仙台の中規模都市でのドブ板営業を進めました。
結果、今や東京のコンビニや居酒屋に「どこにでも置いてある商品」として広く認知されました。
背景には、知られざる営業の努力や生産革新、大規模な設備投資があります。
現在は年商600億円弱に達し、売り上げをデフレ下で7倍伸ばしました。
そんな中小企業は、実は日本にほぼありません。
老舗酒蔵がどう再生し、なぜ日本一になれたのか。
その全過程を描きます。




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