創業家に生まれて 定食・大戸屋をつくった男とその家族
「絶対不可能」と言われた食堂の多店化は、なぜ成功したのか。
カリスマの息子が明かす、日本初・定食チェーンの誕生秘話。
「食堂を多店化するなんて、絶対無理だ。
あんたは馬鹿か」――。
かつて、東京・池袋に「50円食堂」といわれた安い食堂が存在した。
養父の急逝により若くして店を継承した男は、店舗展開を夢見る。
銀行からも取引先からも「食堂の多店化はありえない」と嘲笑を受けたが、彼はお客を喜ばせるためにあらゆる実験をする。
屋根裏のような食堂の事務所で経営理念も掲げた。
そして新規事業の失敗、店舗の全焼などの苦難の中、理念を信念化。
「女性客が一人でも入れる定食店」というコンセプトで、それまでの食堂のイメージをがらりと変え、外食業界の最前線に躍り出た。
定食チェーン「大戸屋」を築いた三森久実氏。
彼はなぜ、新しい定食店を生み出せたのか。
どうして、多店化することに異常なまでにこだわったのか。
創業者の息子は「父・三森久実」と「経営者・三森久実」をつなぐ作業を試みる。
そこには家族も知らなかった事実が――。
そして、創業者の他界直後に勃発し、世間を騒がせた会社側と創業家の対立の背景には何があるのか。
外食業界に大きな足跡を残した男の一代記を、息子の三森智仁氏が赤裸々に語り下ろす。
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