一九九二年十二月にウルグアイ・ラウンド(多角的貿易交渉)がまとまったが、この交渉は、コメの市場開放という問題を抱えていたため、それまでのどの国際交渉よりも日本で注目を集めていた。<br />部分開放という形で一応の決着をみたコメ交渉だが、そのプロセスは、当時もその後も殆ど明かされていない。<br />アメリカは何を求め、日本はどう応じたのか。<br />この経緯を、直接取材とアメリカ政府の内部文書から探り、再交渉への視座を提供する。<br />