「悟り」は開けない
「坐禅」をする本当の意味とは?‘ブッダの教え’― その本質がわかる! 曹洞宗の僧侶で、現在「恐山」院代を務める著者が、「悟りとは何か」「涅槃とは何か」「私とは何か」について、真正面から対峙する。
「悟りを開くために、坐禅をするのではない」―。
今までにはなかった、まったく新しい「アウトサイダー仏教論」。
「仏教」は何を問題としているのか?● 人が「宗教」を求めるとき●「なんとなく不安」―その正体を考える●「死」そのものは誰にもわからない● 老・病・死が‘生存’の条件● 一神教の‘重さ’と仏教の‘身軽さ’ ● 何が‘善’で、何が‘悪’か● 苦しいのは「自己」に根拠がないから●「悟った上にも悟る」の真意●「前向きに生きる」必要はない etc
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