恥と自己愛の精神分析 対人恐怖から差別論まで
精神分析における恥の議論とは,多くの関心の流れが交錯して次々と網目を作るところです。
恥に関する議論は,恥の文化(辱めの文化)と言われる日本においてもともと盛んでした。
ただし,その発生論は,恥に対して過剰反応する日本文化の外に出た方が民俗の神経症として見えやすいのでしょう。
そこには臨床体験と異文化体験という出会いが欠かせないのです。
本書で引用される臨床体験は米国のものですが,それでも著者が米国にいながら,日本の読者に向けて語ることができるのは,恥が,彼の議論を通して日本と米国が出会う場所であるからなのです。
本書の中に入れば,誰もが目を奪われるのが,縦横無尽に広がる著者の守備範囲の広さです。
理想自己と恥ずべき自己,自己と他者,恥と罪,過敏と無関心,積極性と受け身性……これらを縦糸と横糸に,議論を編み上げる機織りの大きな回転運動を続けるのです。
おそらく巡り続ける意志もまた,恥に悩まされてしまうことのない解決を示すのだという主張も,その書き方に見て取れるのです。
岡野氏は世界を股にかける軌跡を描かれ,さまざまな出会いの中で「人にやさしい精神分析」という独特の境地を見つけられたようです。
もちろんこの本は,岡野理論に出会うだけではなく,彼の思考運動の力を得て,恥をめぐる現代精神分析理論への程よい入門書にもなっています。
彼にとっても,日本の臨床家にとっても,良い時期に,まとまった形で出版されることになったと思います。
北山修(「序文」より抜粋)
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