民俗学という不幸
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「都市民俗学」は存在しない。
「常民」は概念ではない。
「民俗」など妄想に過ぎない。
「伝承」はもはや呪文である。
「民俗調査」は自動筆記と化し、研究室はとっくの昔に天使の王国。
つまり、おまえはすでに死んでいる。
志もなく、希望もなく、より良い未来を選ぶ心意気さらになく、柳田国男、没してすでに30年。
ただ、脳死状態のまま、世紀末の高度消費社会に、およそ不幸な延命を続けるこの国の民俗学。
その病いのさまをていねいにほぐし、つづり、かたちにする、身についたことばから再び出発するための、渾身の荒療治。
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