戦国時代の日本で、切支丹大名によって2度も十字軍が組織されたことはあまり知られていない。<br />1度目は一条兼定が3500の兵で四万十川の中村に攻め入り、長宗我部に敗れた。<br />2度目は大友宗麟父子が6万の兵で日向に攻め入り、島津に敗れた。<br />その裏には、日本の布教責任者カブラル神父の野望があった。<br />それがのちの切支丹弾圧の引き金になったのかも知れない。<br />