今日の我が国は、技術立国であることに疑いの余地はないが、敗戦後の技術再興過程で、日本側では柴田秀利の活動はあったものの、実質的には用意周到な米国側の外交政策の枠内で実行されたという特異な過程を辿ったことを明らかにする。<br />