「記録の神様」山内以九士と野球の青春
奇人・変人・記録の虫。
野球の記録に生涯を賭けた男の決定版評伝日本野球界で「記録の神様」と呼ばれる人物は複数いる。
その一人が、山内以九士(やまのうち いくじ 1902-1972)である。
「第一世代の直木松太郎が野球記録を「科学の対象」にし、第二世代の広瀬謙三、山内以九士が記録を「科学そのもの」に高め、宇佐美徹也、千葉功の第三世代は先人の努力の上に、記録を「芸術品」に仕上げた……」。
1995年の週刊ベースボール「ヒューマン・パーク」にはこう書かれている。
直木に師事し、宇佐美、千葉らを育てたのが山内である。
島根県松江市の名家に生まれた山内は、少年時代に野球の虜となった。
テレビはもちろんラジオもなかった時代。
新聞報道をたよりに野球のルールや記録を独学し、慶大野球部で直木松太郎に師事。
1936年、米国の規則を基にした『最新野球規則』刊行に携わり、4年後には、広瀬と共同編集した『日本野球規則』がプロ野球に採用された。
公式記録員として作りつづけた精確無比のスコアカード、米大リーグの関係者からも絶賛された「ベースボール・レディ・レコナー」(打率早見表)… その偉業は多くの尊敬を集め、1985年に野球殿堂入りを果たした。
本書は、山内以九士の生涯をつぶさに追いながら、彼が生きた日本野球の青春時代を生き生きと描く貴重な書である。
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