無名の新人歌手の域を出ないままの牧織江。シベリアに渡り、大陸横断を試みるも断念した伊吹信介。青春が終わりを告げつつある中、己が何者なのか未だに見つけられずに苦しむ姿は、遠く離れた地にあっても同じだった。だが、運命は、二人を再び結びつけようとしていた。ロシア革命の直後、極東で消えたとされるロマノフ王朝の財宝。その謎が、信介と織江それぞれに近しい人々をたぐり寄せているのだーー。一九六一年暮れ。二十四歳となった牧織江は、大手芸能プロダクションKオフィス専属の新人歌手であったが、ヒット曲に恵まれないうえ方向性にも迷い、燻っていた。しかし、織江の才能を信じるマネージャー山岸守は、大物ディレクターとして名高いコロンブス・レコードの高円寺竜三に託そうと奔走。ついに高円寺の承諾を得て、織江の再出発に向けた一歩を踏み出すことに成功した。だが、それは諸刃の剣でもあった。昔ながらのスタイルを貫く高円寺は、社内の改革派から目の敵にされており、早晩コロンブス・レコード分裂劇の火種になると目されていたからだ。一方、伊吹信介は、遠く離れたシベリアの大地で苦境にあえいでいた。二十六歳にして何も為していないことへの焦燥に駆られた信介は、旅券さえ持たないという無謀さを省みずユーラシア大陸横断の旅に踏み切ったが、脚を負傷したため頓挫。治療を施してくれた現地在住の日本人医師「ドクトル」の勧めで、旅を断念し、身体の回復を待つことにした。鬱々とした日々を送る信介に「世界を見聞するためには、まずは歴史をきちんと学べ」と諭すドクトルは、やがて自らの数奇な人生を語り始める。それは、戦後十五年が経った今なお同地にとどまっている、本当の理由でもあった。一九一七年のロシア革命勃発の際、白軍の手で極東に運ばれてきたとされるロマノフ王朝の財宝は、どこに消えたのか。当時シベリアに出兵していた日本軍は、消えた財宝の謎に関与していたのか。シベリア出兵に反対し、後に陸軍機密費横領問題を議会で追及した衆議院議員で、ドクトルの恩人でもあった中野正剛は、なぜ非業の死を遂げたのかーー。ドクトルは信介に「中野正剛の無念を晴らすため真相を追い続ける同志」として筑紫次郎という男の名を挙げたが、その筑紫は高円寺の前に現れていた。筑紫の口から語られる、Cレコード分裂劇と新会社設立構想の背後にあるロマノフ王朝の遺産をめぐる巨額資金と、その金に群がる闇の人間たちの存在。その背景に不穏なものを察した高円寺は、やがて新会社設立構想そのものがCレコードの改革派による罠だったことを知り、いったんは一切から身を引くことを決意するが、有志の支えにより再スタートを期すことになった。再起に向けて立ち上がろうとする高円寺と織江。その頃、信介もまたドクトルとともに帰国の途についていた。運命の糸は、再び信介と織江を結びつけようとしている。