私見によれば、兼好は決して最初から「人生の達人」だったわけではなく、徒然草を執筆しながら、あるいは徒然草を執筆することで、徐々に成熟していった人物である。<br />とりわけ徒然草の後半部になると、兼好の「人間」と「時間」への関心や、ものの見方が、前半部と比べてより一層柔軟に相対化してくるし、兼好の批評精神が顕著に現れてくる。<br />本書では、そのような徒然草の記述の深化と展開を、辿ってみることにしよう。<br />(本文より)