明治三四年、子規三五歳。<br />重い肺結核の症状に喘ぎながら、『松蘿玉液』に続き、新聞『日本』に連載(一・一六―七・三)した随筆集。<br />多様多彩なテーマが、みずみずしくユーモアにあふれた筆致で綴られ、子規の精神に拡がりと深さが鮮やかに立ち現れる。<br />近代文学の巨星=子規が随筆家としての真骨頂を発揮した書。<br /> (解説 粟津則雄)