日本長期信用銀行が経営破綻して十数年が経過した。これまで、1997年、1998年の金融危機における銀行などの破綻のいきさつなどについて、当時の経営当事者の口から、その実情が語られることは皆無に等しかった。それには理由があった。銀行が破綻した当座は、彼らが何を言っても、単なる保身や責任逃れの言い訳だと片付けられ、逆に、歴代の経営陣や銀行という組織体のずさんさを指弾する材料にされた。そのため関係者は身を固くしてマスコミの熱心な取材要請をかたくなに断り続けた。当事者が裁判の制約から解放されて、様々な発言をするまでには、「事件」が「歴史」となる十数年の歳月を必要としたのである。世界的な金融の混乱や信用収縮の暗雲に覆われている現在、長銀破綻の今日的な意味が浮かび上がってくる。企業ガバナンスのあり方、規制緩和の進め方とセーフティネットの構築、市場の暴力的な動きに対する対応、危機管理における政治と金融当局の役割、そして法の適用と司法の役割など示唆するものは多い。