日本の未来と希望がここにある。平均以下の成績。有名私立中学退学。熱中したのはテニスだけ。教師を悩ませ、手をわずらわせ続けた子供時代。だがその少年は、日本を代表する実業家になった。少年は両親からどのような教育を受けてきたのか?前を向き続ける、くじけない心はいかに育まれたのか?そして、いま何を考え、どのように動いているのか?本人、両親、そして関係者への取材を経て、初めて綴られる素顔。■内容を一部抜粋 三木谷浩史は十分以上に悪童であった。問題児であった。中学で煙草を吸い、競馬、パチンコ、麻雀に入れ込み、父親の財布から金をくすねた。成績はふるわず、中学の通信簿は5段階評価で2と3ばかりである。欠席日数40日以上、遅刻は30回以上。それが高校2年まで続く。 いつ道をそれてしまってもおかしくない危うさを、この少年はずっと内側に隠し持っていたのだ。 そうならなかったのは、少年の背中を、いつも見てくれる存在があったからだ。父親である。勉強ができないことを、そもそも勉強をしないことを、父親は一度も叱らなかった。母親もそうである。 だが息子の背中を見ていて、ちょっとまずいなという時にはトントンと肩を叩き、小声でアドバイスしてきた。道をそれる直前で、少年は太陽に照らされた明るい世界に戻ってくることができた。 少年の両親は、日本の多くの家族がそうであったように、大きな戦争と敗戦をくぐり抜け、貧しい時代を乗り越えてきた。決して多いとは言えない給料で、3人の子供たちを大学にやった。母親も学習塾で働き、生計を支えた。 その過程で、「本質を見る」ことの大切さを痛切に感じるようになった。だから両親は息子にもそうしてほしいと願ったのである。(「プロローグ――太陽の子供」より)