木石の詩
新山清が亡くなっ時に浜谷浩、植田正治、鈴木八郎ら有志によって制作された新山清の遺作集。
新山清は旭光学(アサヒペンタックス)で東京サービスセンター所長を務めアマチュアカメラマンの指導していた。
1969年5月13日、指導の帰りに目黒駅近くで精神異常者の兇刃に倒れて急逝する。
この写真集『木石の詩』は新山と親しかった友人らによって作られた遺作集でその選者は浜谷浩、植田正治、縁川洋一、鈴木八郎と言った60年代を代表する写真家達が名を連ね、新山清の交友関係の広さが窺われる。
(編集・デジタライズ:五味彬)【著者】新山清1911年(明治44年)愛媛県に生まる。
東京電気専門学校卒業。
1935年(昭和10年)理科学研究所に就職。
1936年(昭和11年)パーレットF6.3付で写真をはじめる。
二科展、アメリカ・ポピュラーフォトコンテスト、パリサロン、東京美術協会展など入選、受賞多数。
全日本写真連盟役員・東京写真研究会審査員などとして全国アマチュアの指導に活躍。
1958年(昭和33年)旭光学に入社、東京サービスセンター所長を務める。
1969年5月13日(昭和44年)精神異常者の兇刃に倒れて急逝。
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