幕末の文久元年(1861)七月、25歳の若きロシア人司祭が箱館に到着した。<br />その名はニコライ。<br />それから約50年にわたって、彼は日本人にロシアのキリスト教を伝えるべく奮闘。<br /> ロシアに帰ったのは二回だけ。<br />それも布教の資金を集めるための一時帰国だった。<br />「(駿河台にある)ニコライ堂のニコライ」として知られ、多くの人びとの尊敬を集めた彼が遺した膨大な日記から読み解く「もう一つの明治」。<br />